11月30日、日曜日の六本木。ヒルズで開催中のクリスマスマーケットを横目に、香港映画祭2025で上映された『私の愛のかたち(原題:像我這樣的愛情)をTOHOシネマズ六本木で鑑賞しました。

16時の上演を前に、240席超のシアター9はざっと見ても満席。『私の愛のかたち』では主演のフィッシュ・リウの登壇が予定されていましたが、香港・大埔で起きた火災を受けて中止となりました。
諸般の難しい事情があるなかで香港映画祭として上映を行っていただいたことに感謝の気持ちをお伝えしたいのと、今回の火災で命を落とされた方のご冥福をお祈りし、被害に遭われた方におかれましては、一刻も早い回復を願っております。
フィッシュが脳性麻痺の女性を熱演
映画は、廖子妤(フィッシュ・リウ)がベッドの上で自分の身体を触っているシーンから始まります。フィッシュ演じた阿妹(ムイ)は生まれつきの脳性麻痺で体を動かすのに不自由な面があります。香港のマンションで母親と2人で暮らし、身の回りの世話は母親や女性のヘルパーさんの助けを得ながら生活しています。
ムイは絵を描くことが好きかつ上手で、描いた絵は商品として買い手がつくことも。脳性麻痺のためムイが1人でできることには制限があるものの、ムイの性格は明るく前向きで、もはや楽観的で悩みなんてないように見えるほどです。
ただ、ムイは事あるごとに「私のような人を好きになってくれる人はいる?」と、他人に問うたり自問自答していたように思います。後で出てくる陳家樂(カルロス・チャン)にも「私がこんなんじゃなかったら、あなたは私を好きになる?」と問いかけていた様子も強く印象に残っています。
“Someone Like Me”
本作の英題は”Someone Like Me”、直訳すると「私のような人」。下の対談動画によれば、タイトルはもともと現在の《像我這樣的愛情》ではなく、《像我這樣的人》が原案だったそうです。これも直訳すると「私のような人」なのですが、個人的には本作のキーワードなのではないかと思いました。
(映画タイトルのビハインドストーリーなど、監督と主演2人の対談が面白かったです)
障がい者のための“性義工”で出会う
ムイは友人を通じて、障がい者のための性的サービスボランティアを運営する女性のEva(イーヴァ)を紹介されます。中国語では“性義工”、日本語でも「セックスボランティア」というようです。イーヴァは日本や台湾で同様の活動を行ってきて、普及していない香港でもこの活動を展開したい意思を持っています。
ムイにとって初めてのサービスで出会ったのが、陳家樂(カルロス・チャン)演じる阿健(ケン)です。ケンはムイと同年代くらいに見える男性で、イーヴァと共に外国でのボランティアの経験がありました。
1回目のときはムイが緊張して結局何もしませんでしたが、2回目のサービスを経てムイはケンのことが好きだと自覚します。一方のケンはムイのことを可愛らしい女性と思っていたようですが、それ以上の感情はない様子。
(イーヴァのボランティア団体ではリソースの関係上、1人につき最大3回まで申請できると決めていて、パートナーも毎回違う人を割り当てるのが基本です。しかし、ムイの希望で2回目もケンが割り当てられていました。)
ケンが抱える「心の傷」
ムイはケンのことが好きですが、これ以上ボランティアのサービスを通じてケンと会うことはできません。ただ偶然にも街中で仕事中のケンを見かけ、道路越しにケンの姿を追うムイ。しかし、ケンが入っていった職場(飲茶レストランのような所)は階段を上ったところにあり、それ以上追いかけることができません。
香港らしい景色だと思ったのですが、道路ひとつ渡るのも、大きい道だと地上に信号がなく地下道や陸橋を越えないといけない場合もあります。また、急な階段は電動車いすで移動するムイには自力で行くのが難しい場所です。

ケンがなぜ障がい者のための性的サービスボランティアをやっているか、直接的な理由は触れられていないように思いますが、ケンは「心の傷」を抱えた人物だと思いました。ケンには姉がいましたが、交通事故に遭って下半身不随のような状態に。ほかの人の介護がなければ生活が難しく、ムイの状況と似ています。
しかし、明るい性格のムイとは対照的に、健常者の状態から不自由な体になったケンの姉は生きる希望を持てませんでした。そのまま亡くなってしまい、そのことでケンは深く傷つきます。また、ケンは基本的に人当たりのいい優しい性格ですが、一方で「愛に飢えている」印象も受け、勤め先のレストランの従業員の女性に声をかけてはフラれまくっています。
そしてある日、ケンは虚無感を埋めるように同僚と飲んで酔いつぶれ、店先でそのまま眠り込んでしまいました。そこへ偶然ムイが通りかかり、ケンの隣に腰を下ろしてそのまま一晩を明かします。
2人の愛情の形
朝、ケンが目覚めると自分の隣でムイが一緒に寝ており、驚くケン。ムイのことを嫌っていたわけではなくても、ボランティアで2回一緒になっただけの女性が知らない間に横で寝ていたら驚くし、若干引くのは当然の反応にも思います。ケンはムイが気づく前に黙って立ち去ろうとしますが、その気配にムイも気づいて目覚めます。
ケンが自分を置いてけぼりにしようとしていたことに気づき、怒り、悲しむムイ。ケンも悪いと思ったのか、車いすに乗るのを手伝おうとしますが、ムイは拒絶します。そのまま各自帰ろうとしましたが、そこでケンがムイのところに戻ってきて「一晩いっしょにいてくれたから、家まで送る」とか言って2人は一緒に帰ることになります。(※ケンのこういう所が本当に良くない)(※褒めてる)
この帰り道をきっかけに2人の関係は近づき、それまではムイ→ケンの気持ちが強かったところから、徐々にケン→ムイに対する気持ちも大きくなります。さらにその後も2人の距離を縮める出来事があり、ぽっかりと穴が開いたケンの心にムイの純粋な優しさが届くのです。しかし、2人をただの男女ではいさせてくれない出来事が待っていて……(続きはぜひ本編で)
(着飾っていないムイのことも愛しているケンが好)
障がい者の権利と守る立場から
本作の題材である障がい者を対象とした性的サービスですが、劇中でも言及があるように日本にも有償サービスやボランティアで存在することを知りました。この記事ではその是非を問うことはしませんが、健常者が当たり前に享受している権利を、障がい者だからという理由で享受できない現実があることを世に問いたいという本作の問題意識を感じました。
中盤~後半のムイとケンの関係が変化していく展開が、見ていていちばんときめいた部分です。ただひたすらラブストーリーを見ている気持ちで(実際そうなのですが)、いつまでも幸せでいて……と思ったのはきっと私だけじゃないはずです。
一方で難しい立場にあるのがムイの母親です。これまであまり言及しませんでしたが、一言で母親は「ムイを守る存在」で、劇中では徐々にムイに対する監視の目を強めていたような気がしました(個人の感想)。
前半で紹介した対談動画で監督とフィッシュは「ムイはとにかく幸せな人物である」と指摘しています。物理的には車いすに乗れば自由に動き回れるし、一方で社会的な行動範囲、例えば人間関係も親の保護下にあるからこそ安全な状態が保たれていたと言えます。
ただ、男女関係などでは、自分の思った通りに同意、あるいは拒絶を表すのが難しいとき、どう自分の身を守るのか? そういう“最悪の事態”が起きないように、親として子を守らなければいけない。それは障がい者の親として、より緊張感を持っているのだろうと思ったと同時に、それが「本当に本人のためなのか?」という迷いは常にあるように思いました。何も障がい者に限ったことではなく、「何が自分にとって本当に良いのか?」は誰にとっても難しい。
ただ、この作品を通して私は「障がい者だからという理由“だけ”で、降りかかる困難がこんなにも多いのか」ということを強く感じました。自分では想像し得なかったことが、映画ではたくさん描かれていました。
11月27日から香港で上映が始まりましたが、この作品が伝えようとしているメッセージが1人でも多くの人に届いてほしいと心から思っていますし、日本でもその機会があれば…(他力本願)と、願っています。
【私の愛のかたち】作品概要
| 原題 | 像我這樣的愛情 (Someone Like Me) | 2025年11月6日(香港アジア映画祭・香港プレミア) 2025年11月27日(香港公開) |
| 邦題 | 私の愛のかたち | 2025年10月31日 (東京国際映画祭・ワールドプレミア) |
| 監督 | 譚惠貞(タム・ワイチン) | 『青春の名のもとに(以青春的名義)』など |
フィッシュ・リウ(廖子妤)
最高だったフィッシュ・リウ。トワイライト・ウォリアーズの燕芬姐はカッコいい印象でしたが、良い意味で面影が全くない。振り幅。
カルロス・チャン(陳家樂)
正直めちゃめちゃ良かったです。ほかの出演作も見なきゃ~と思ったら、『レイジング・ファイア』に出ていたようで『レイジング~』を見直す口実ができたのが嬉しい(ンゴウ以外もちゃんと見よう!私!)。
