観ました、長安のライチ。
中国の小説家・馬伯庸(マー・ボーヨン)の小説を原作にした作品で、映画とドラマがありますが、今回観たのは映画の方。
中国の「唐」って日本の何時代?
突然ですが、世界史などで中国の歴代王朝の名前と順番を勉強したとき、皆さんはどうやって覚えましたか?
私の場合は、最初中学時代は「もしもしかめよ」のメロディで覚えましたが、大学受験では「もしもしかめよ」は情報量が少なすぎて、「アルプス一万尺」のメロディで覚えなおした口です。「アルプス一万尺」の方は、「殷・周・東周・春秋戦国……」みたいな感じですよね。10数年前のインプットですが、未だに歌えるのが怖い。
歌のおかげで中国王朝の順番自体は覚えているので、隋→唐→五代十国みたいな順番はわかるのですが、長安のライチの映画を見終わってふと「映画で繰り広げられていた(唐代の)話って、日本は一体いつだったんだろう?」と思ったわけです。日本史Bは早々に諦めたし、世界史Bでも横ぐしで問われると全然ダメなタイプだったので、今回も自力で分かるわけがない。
そこで、調べました。主にウィキペディアですが。
一口に唐といっても300年間くらい続いたので、その中で長安のライチに関係する部分に注目すると、結局盛唐と呼ばれる、700年代ごろの話だとわかりました。この頃に玄宗(唐の第9代皇帝)が唐を治めており、その後半が楊貴妃BIG LOVE でうつつを抜かした結果、安禄山に安史の乱を起こされ長安(今の西安)が陥落、唐の弱体化につながった、という感じです。
また、盛唐の時代は文化的にも繁栄した時期で、杜甫・李白などの著名な詩人が世に出てきました。杜甫は長安のライチにも出てましたしね、李善德の良き友。
(↑こうやって重要語句を太字にして書くと、山川「世界史B」の教科書っぽさが出て趣深いですね)
前置きが長くてすみませんが!じゃあその頃の日本は何してたんだって話。私の結論は、
奈良の東大寺に大仏さまができた!!
以上!今回はこれだけ持ち帰っていただければ本望です。ありがとうございました!!
まあこれではあまりに雑なのでもう少し続けると、安史の乱が755年~763年にかけての出来事。映画の中ではラストで安史の乱が起きたので、李善德が一生懸命ライチを運んでいたのはもう少し前の話かなと。したがって、玄宗の在位期間712年~756年の晩年辺りだと思われます。
一方の日本は奈良時代(710年~794年)。その中でも玄宗と時期が被るのが聖武天皇(在位:724年~749年)だとわかりました。「聖武天皇」とか口にしたの何年振りですかね?響きが懐かしすぎる。
ここからは皆さんご存じと思いますが、聖武天皇の時代に災害や疫病が多発したため、天皇は仏教を深く信じ、全国に寺を建立することを命じました。それで各地に国分寺・国分尼寺が建てられ、その中の総本山が東大寺(奈良の大仏)ということのようです。年号的には、752年に開眼供養(大仏さまの目を描きいれる)が行われたとのことで、映画の時期と近いのではないかと思いました。
そして「映画でも巨大な仏像が印象的に描かれていましたね」というのは、私の勝手なこじつけです。
アンディ・ラウの「楊国忠」は何がそんなに悪かったのか
ここまで「長安のライチの頃の日本史」の話をしてきましたが、本丸の唐の話も少し書きたいと思います。
映画の中では劉德華(アンディ・ラウ)が演じた楊国忠が、中盤で李善德の後ろ盾となりライチを運ぶ人的・金銭的資源を提供しました。しかし、実際のところは李善德がライチを運べるかはどうでもよかった。玄宗や楊貴妃など王宮が奢侈で贅沢な生活ができさえすればよく、民衆から搾取をしていた、といった姿で描かれていると思います。
楊国忠。
楊貴妃。
2人とも同じ「楊」氏なんですが、楊国忠と楊貴妃はなんと「はとこ」の関係らしいです。2人の母親同士が「いとこ」という。どれもこれもウィキペディア情報ですが、楊国忠は「学問を好まずに酒と博打を好み、行いが定まらず、一族の嫌われ者であった(ウィキペディア:楊国忠)」と書いてあります。出自の詳細はわかりませんが、筋金入りの性悪なのでしょうか。
そんな楊国忠、自分でも地方の軍に属して頭角を現すなどしていたようですが、躍進の決め手になったのは「はとこ」の楊貴妃が絶世の美女であることから、玄宗に気に入られたことです。それによって楊貴妃の一族も厚遇を受け、最終的に宰相(皇帝補佐の中でトップ)まで登り詰め、政治的な権力を握ることになりました。ざっくり説明するとそんな感じです。
楊国忠の人間性が終わっている理由は前述の「一族の嫌われ者であった」くらいしか見つけられませんでしたが、自分の地位を守るためには時の皇帝である玄宗に気に入られることが重要で、政治を通して「国を良くして、民衆の生活を良くしたい」みたいな考えはあまりなかったのかなと想像します。
楊国忠が保身に走っていたと(私が)思った理由は、後に安史の乱を起こした安禄山と長らく対立関係にあったということからです。安禄山も有名なエピソードがありますが、いろいろ端折って言うと安禄山もまた、玄宗と楊貴妃にそうとう気に入られていたということ。安禄山は軍人出身ですが、長安の王室にたびたび献上品を贈るなど戦略的に?距離を縮めていったようです。
長々と書きましたが、要は楊国忠と安禄山は権力を争う立場にあったと。楊国忠は玄宗に常々「安禄山がいずれ反乱を起こしますよ!!」と嘘か本当かわからないことを言っていたし(皮肉にも結局本当になってしまった)、恐らくそれ以外にも楊国忠との対立を深める出来事が大小さまざま色々とあり、安史の乱が起こった(乱を起こした)ということなのかなと思います。
『長安のライチ』が描きたかったもの
長安のライチ、観る前は「ミッション成功できるかな?ドキドキワクワク物流映画!」くらいにしか思っていなかったのですが(予習がひどすぎる)映画を観た後は、李善德(大鵬・演)がライチを運ぶことで痛感した、
- 権力者の理不尽な(おおよそ何も考えていない)言動
- 搾取される民衆の苦しい生活
- そして自らも搾取する側になってしまったことに対する後悔
などを楊国忠(劉德華・演)にぶつけるシーンを描くことがこの映画の目的なのだろうと、だいぶ遅れて私も理解しました。
原作者の馬伯庸(マー・ボーヨン)さんのインタビュー記事を読んだのですが、
一骑红尘妃子笑,无人知是荔枝来
杜牧『過華清宮』
という詩が作品の題材になっているという話です。これは唐代の杜牧(とぼく)という詩人の『過華清宮』の一部で、「一騎の馬が埃を巻き上げながら走ってくるのを見て楊貴妃は笑う、ライチが届けられたのだということを知る人はいない」といった意味だと理解しています。

まさにこのシーン。
“红尘”なだけに、赤い木綿の花びらが舞っている演出も皮肉がきいています。
(上の画像:YouTubeからのスクリーンショット)
多くの方が『長安のライチ』のレビューや考察で指摘されている通り、この作品は「古代中国の話を描いたものだが、現代社会への痛烈な批判・問題提起となっている」点が最大の魅力ではないでしょうか。
一連の『長安のライチ』作品の存在によって、それらの読者・視聴者はもはやわざわざ人と馬を走らせて(多大なる犠牲を生み出しながら)ライチが届けられたことを知っています。巨大な権力が利己的な理由で一人ひとりの尊厳を踏みにじるようなことを社会は許さないんだというメッセージ、ただ、誰しもが(李善德のように)故意であるかに関わらず“権力側”になってしまうこともあるという、警鐘や自戒が込められた作品だと思いました。
